ある日のこと、ELFで学ぶ高2の女子と雑談をしました。おおまかにいえば進路相談ということでしょうか。ただ、正式深刻な話ではなく、雑談の域を出ないお気軽なオハナシのはずでした・・・
たとえば、わたし数学が苦手なので、「理系は無理系!だから文系です」とか。ああ、追加、追加、文系でも「入試に数学が必須の学部はNGです」とか。ニガ笑いとため息の間に、時々激励の肩たたきをいれたヘラヘラ話です。
わたしは、何か好きなこと、興味のあること、挑戦してみたいことないの?と尋ねました。答えは「うーん」。
あわてることないわよ、時間はたっぷりある。ひとまず就職時までに見つければいいの。大切なことは、忘れないで、寿命はどんどん延びているのよ。50年先は、女性も70歳ぐらいまで働くのがあたりまえの時代になっているわ。どうせ働くなら、好きなことをやらなくては、「・・・でしょう」とわたしのご意見。
すると彼女は唐突に「先生、わたし達が歳取ったとき、年金がもらえなくかもしれないのでしょう、どうしよう」といいました。好きな仕事を元気に続けられる人はいい。でも歳とってもイヤな仕事を無理にやるなんて嫌な人も絶対います。そんな時、年金もらえないと生きていけなくなりますよ。自ら人生を終える人も増えるのでは・・・今度はわたしが「うーん」とうなる番でした。正直ビックリ!こんな発想、わたしにはなかったので、このコメントはショックでした。もう気楽なオハナシで
済まされないような気がしました。
数日後、わたしは米国留学時代のクラスメートにこの話をしました。彼女は肝いりの大和なでしこ。昔々、フルブライト留学生としてイスラエルに行き、かの地で結婚。現在久方ぶりの里帰り帰国中で、日本を楽しんでいるところです。
彼女曰く。わずか17歳の女性が将来の年金の心配をするなんて??!!
年金をもらえなくなった高齢者が生活に行き詰まり自ら命を絶つことを想像するなんて??!!
こんな環境を作ってしまった祖国日本は「絶対おかしい」と大変おかんむりでした。
ご存じのようにイスラエルは、パレスチナ紛争が慢性化し、常に一触即発状態。
落ち着いて生活できる環境下にありません。
(何しろ2000年以上にわたる対決!くわしく物語るには、わたしは知識不足…)
彼女はこの地で40余年過ごし、5人の子どもを育て、今日に至ります。
イスラエルには徴兵制度があります。18歳から、男子は2年8か月間、女子は
2年間だそうです。だから子どもたちは徴兵終了後に何をやるか必死に考え、
さまざまな夢を語るといいます。
それに比べ、日本の若者は…徴兵制度ってナニ?ってところでしょう。
50年以上も先の自分の年金の心配をするなんて、「なんだか哀れ、気の毒」と
いうのが彼女の率直な感想でした。
さて某月某日のオハナシの続きにもどります。
わたしは将来の年金の心配をする17歳に、「英語が話せるようになると年金の心配なんかしなくて済むよ」という短絡的な話をしました。これはたまに使う「手」で、
英語ができると断然面白い、有利だというオハナシ。
自身の体験談を交えて語ります。
50年後はともかく、今日バナシとしても説得力をもちます。
アルバイトでも、ユニクロOK、スタバOK、浅草のリキシャマン(人力車で観光案内する人)だってたぶんOK・・・でしょう。
英語(米語)は、世界の共通語です。世界中の人たちとコミュニケーションができ、世界の文化を知ることができる。広い世界を舞台にすると、やりたいこと、
挑戦したいことが次々に現れます。
わたしが2013年に「ELFえいごの寺子屋」を開いたのは、人生の選択肢を広げるツールとして英語を教えたいと思ったからです。
受験対応で、希望の大学に合格したらすぐ縁切りしてしまう英語は将来になかなか役立てることはできません。
英語は「夢を探し、挑戦するツール」になります。