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守っていかなければならないものは?

2026.01.29(Thu)

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2026年になりました。毎年わが家では、元旦と3日に身内の新年会を開いています。

場所が小さな和室の掘りごたつ部屋ですから、ぎゅうぎゅうカラダを寄せ合っても、2回に

分けなければどうにもなりません。

同じことを繰り返すのも味気ないですから、元旦は屠蘇を祝い,おせちをいただく伝統方式。3日はTVで箱根駅伝をみて、手巻き寿司パーティを開くという勝手放題方式が恒例になっています。

今年の箱根駅伝は、わが母校の圧勝。往路最終区の山登りで、3分以上先を行くW大に追いつき、追い越し,トップゴールした時は思わずバンザイを叫びました。

3日の復路も完璧で、「これは春から縁起が良い」とゴキゲンでした。

加えてもうひとつ、今年の新年会の慶事は、わたしのアメリカ留学時代のクラスメイトが飛び入り参加してくれたことです。

彼女は宮崎県出身。フルブライト留学生としてイスラエルの大学に留学中、現地で知り合った地質学者と結婚し、主婦兼学生として頑張っていたところ、突然ご主人がアメリカに転勤になったため、彼女もアメリカの大学に編入。偶然わたしのクラスメイトになったのです。

以来40年近く、彼女はエルサレムに住み、5人の子どもたちを育て、今日に至っています。彼女とは折に触れ連絡を取り合い、交流を続けてまいりましたが、直接顔を合わせるのは約8年ぶりのことです。

今回の里帰りは約3か月の長期。彼女も久しぶりに羽を伸ばし、旧友に会ったり、大好きな江戸の残照を探訪したり、ふるさと九州旅行をしたり、おいしいものを食べ歩いたり、日本を満喫したようです。わたしも数回ご一緒しました。

彼女は日本の現状をうらやましいと思う一方、なにか違和感も覚えたようで、『日本は、守っていかなければならないものがある』といった意味のコトバを繰り返していました。

1月16日、「無事エルサレムに着きました」という彼女のメールを読みながら、そのコトバが妙に気になり、いま思い返しているところです。

彼女は日本の将来に強い不安を感じたのではないでしょうか。このままで大丈夫?

約40年間にわたるイスラエルの日常の中で、彼女は、言葉が違い、伝統・文化が違い、歴史、宗教が違う民族と民族がお互いWin-Winの関係を築き、維持することのむずかしさを身をもって知った存在です。

想像するに、里帰りするたびに重篤化していく「日本の平和ボケ」に、いらだち、怒っているのだと思います。お屠蘇で祝い、おせち、お雑煮を食べる「お正月」を大事に守ってねと、いわれているような気がしました。

彼女とわたしが同じキャンパスで学んでいた1990年代前半は、ソ連が崩壊し、アメリカ一局主義がはじまった変動の時代でした。

恥ずかしながら当時のわたしは世界情勢、政治のことには無頓着。新聞もTVも政治経済のニュース、話題はほぼスルー。ただただ好きな英語を習得するために友だちづくりに熱心だったように思います。

その時代の思い出話です・・・

エピソード①

感謝祭(Thanksgiving)のディナーにイラン人姉妹に招待され、彼女たちの手料理を楽しんだことがありました。

姉妹は高校生の時に、家族全員でアメリカ西海岸に移住してきました。裕福な家庭で、立派な自宅に住まい、地元の高校を卒業後、大学に進学。そこでわたしと出会ったわけです。ふたりはキャンパスの近くにおしゃれなアパートを借りていて、そこに招待してくれたのです。日本からの地味な留学生だったわたしは、彼女たちをうらやましく思いました。英語も流暢に話し、居心地のいいアパートに住み、キャンパスライフを100%エンジョイしているように思えたのです。

「将来ナニを専攻するの?」と聞いた時です。わたしの勘違いをただすように真剣な反論がありました。

「わたしたちはアメリカに来たくて来たのではない。アメリカに住みたいとも思っていない。でも、帰る国がなくなっちゃったの。今のイランに帰っても教育も受けられないし、仕事にもつけない。だから、ここで頑張るしかないのよ」。

わたしは唖然として、受け答えができませんでした。その時のふたりの哀しそうな眼を今でも鮮明に覚えています。

思えば、イスラム教スンニ派が台頭して、厳しい戒律に縛られる生活を強要され、女性の教育が“NO”になった時代。この現実は今も・・・

エピソード②

偶然にも同じ時期、わたしが借りていた家の大家さんはイラン出身の大学教授でした。彼には甥がおり、わたしと同じ大学に通っていました。

イラン政府が女性蔑視政策をはじめた時、彼の両親がこの教授を頼りに段階的に移住してきたのです。母親ははじめは英語がまったくダメで、誰ともコミュニケーションが取れない状態だったとか。そのため、もっぱら息子の世話ばかりしていたといいます。その後程なくして永住権もとり、片言の英語で会話ができるようになっていました。

ある日、彼女が近所のマクドナルドで働くことになったと満面の笑みで報告してくれました。わたしは、学生アルバイトのひとつぐらいの認識でしたから、「ああ、そう、よかったね」と、軽く受け流した記憶があります。しかし、しばらくして、これが大きな間違いだとわかります。

彼女にとっては、単にお金を稼ぐ手段ではなかったのです。仕事をする喜び、自由の獲得。母国で「女性の就労」は逮捕されるキケンが伴う、と聞いてびっくり仰天しました。

半年後、彼女はその店舗の最優秀スタッフに選ばれ、表彰されました。その賞状を家族とルームメイトである私全員に自慢げに見せてまわった彼女のキラキラ輝く姿を思い出します。間違いなく私の眼は少し潤んでいたと思います。

エピソード③

大学のインターナショナルイベントで中米エルサルバドル出身の子と知り合いました。

彼の家族は内戦から逃れてアメリカに移民。父親は自動車の修理工、母親はメイドの仕事を掛けもって、息子を大学に進学させていました。そんな彼も夜間は車関係の仕事で必死に働く、文字通りの苦学生でした。ある日「僕のファミリーが帰国するので、お別れパーティに来てほしい」といってきました。もちろん喜んで参加。ご両親は人懐っこい笑顔で歓迎してくれました。

そして最後に記念写真。父親が、「エルサルバドルは自然が豊かで美しい国なのだ。本当はキミを案内したいのだがね。君の写真が我々と一緒にエルサルバドルに行くんだよ。」といって、首にぶら下げた古いカメラを撫でる姿が思い出されます。

当時のエルサルバドルは、紛争が絶えず、中米の中でも最もキケンな国といわれていました。彼はようやく手に入れたアメリカでの生活を投げ捨てて、そんな国へ戻るのです。大切なものを守るために・・・

何故このようなエピソードを披露したか。

それは当時のわたしの「お花畑」ぶりを披露するためです。

「お花畑」とは、「現実が見えていないサマ」を比喩したコトバで、「能天気」ともいいます。「能天気」とは「何事も深く考えないサマ」を意味します。

アメリカの大学を卒業後、わたしは日本に帰り、外資系広告代理店をスタートに、アメリカ、フランス、デンマークなど外資企業に勤務し、異文化と渡り合い共生することのむずかしさを身をもって学びました。同時に、長い歴史の中で培ってきた日本の伝統・文化のすばらしさを認識しました。異文化と交流することによって、わたしたち日本人の習慣、立ち振る舞いの中に輝く宝石のようなものがあることを知ったのです。

これをしっかり守ること、次世代に継承していくことができるか否か。

わたしは現在、子どもたちに世界共通語である英語(=米語)を教える仕事に取り組んでいます。「ELFえいごの寺子屋」と称する英語レッスン場です。ELFの目標は、異文化を受け入れ理解し、「えいごでコミュニケーションできる有能で魅力的な日本人づくり」です。

2025年10月21日、日本で初めて女性総理大臣が誕生しました。104代目だそうです。イスラエルから来た友人は、偶然このドラマに立ち合うことになりました。

今度彼女が里帰りした時、「ああ日本はよくなった、これで安心だ」と微笑みながらいってくれることを期待しながら、わたしも頑張ります。

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